12月1日(月)・・・(非公開まま気づかずでした。)1月27日(火)
11月29日、夜中2時半過ぎ、床について間もなく、枕元に置いた携帯が鳴り響いた
「ババピーさん!? 急いで来てください!!」
母の様態が、急変したのです。
冷静さを保てず、自分が何をして良いやら・・・ 主人と病院に駆けつけました。
連絡した姉夫婦、叔母夫婦も駆けつけて、いつも昼間に通う病院とは、まったく様子の違う
院内。
薄暗く静まりかえる廊下、
「こっち、こっち・・・」
看護師さんが、駆けつける私達の為に懸命に、心臓マッサージをしてくださっていました。
「お姉さんは、あと、どれくらいで着かれますか!?」
だんだん弱くなる心拍数値、懸命に呼びかけるも、返事が有りません・・・。
温もりは有るものの、だんだん足の指先が変色してきました。
「もう、良いですか・・・!?」 「はい!! 有難うございました。」
機械の示す数値は、
ピ~~! 0を表示
母は二度と、私達と口を聴いてくれる事は有りませんでした。
少し前から、胃が痛いと言つてつらがり、もどしたりするようになり、20日間くらい点滴のみ、
食事を一切もらえず。
意識のある母としては、お腹が空いてたまらぬ様子、ご飯ももらえぬと訴えました。
食べればもどし、誤嚥の心配が有っての事のようでした。
実は、胃が痛いのでは無く、九州の時から1個持ったままの大きな胆石が、悪さを
したものと思います。
お世話に成った先生方も、ご存じなかったババピーからの情報、肝硬変も持っていました。
1週間ほど前、黒いものを吐いたとの事、嫌な予感がしました。
すると、
「数日前、おしっこの出が悪いんです。」看護師さんからの報告でした。
(腎不全を起こしている・・・いやだなぁ~~)
臓器で、何々不全と聞けば、・・・。
とうとう、その日がやって来てしまいました。
少し前から、私達姉妹に甘えて、わがままを言った母、胃が痛いから、お腹をさすれって
すると、痛いって。 痒いと言い、さすれば、あちら、こちら、次々と注文です。
病院から帰る時は、姉とババピーそれぞれが、母を納得させての帰宅でした。
9月21日、父が先に逝ったことを知らないまま、逝ってしまった母でした。
病院を去るとき、急に降り出した大雨、そして葬儀の日も同じく雨、まるで母が逝く事を
悲しんで居る様に思えました。
私たちの住む地へ、遠く福岡から連れて来てしまったにも関わらず、思いもしないほどの
弔問客、お通夜の会食は、多めの注文にもかかわらず、足りなく成る始末。
葬儀の飾りは、祭壇をやめ、母の大好きだった花で埋め尽くし
(かなりの予算オーバーでしたけど)
生花って、一番金額がはるらしいです・・・。
何が嬉しかったかと言うと、最後の旅支度を、みんなで手伝わせて下さった事と、
最後だけは、顔の表情を整える為、ワタなどを入れ、形成する作業は、家族には見せる事が
出来ない辛さが有ると想像できました。
キレイに化粧して頂き、微笑んでいるような笑顔の母に仕上げて下さった
おくりびと
あの顔、一生、私の脳裏にしまっておきたいと思います。
来年のお盆、父の眠る福岡へ連れて帰り、2人一緒に初盆の供養をしてあげたいと
思っています。
それまでは、お骨に成ってしまったけれど、再び我が家に戻って来てくれた母と
今までの、思い出話でもする事にしましょう。
と、言うわけで、母の介護記録の内容は、書けなくなりました。
これからは、ババピーの、頓珍漢な生活ぶりを、時々、綴りたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
29日から、ほとんど取れていない睡眠、いやいや、まだまだ手続きで、ゆっくり出来ないのかな!?